凄い映画です、「正義の行方」。まだ衝撃が止まらない






凄い作品、圧倒的な重みを五感で感じることができた映画でした。「正義の行方」という映画です。テーマは冤罪で死刑が執行されたのではないかといわれる、いわゆる「飯塚事件」。犯人を追った福岡県警の捜査官、事件を報じた西日本新聞社の記者たち、そして男性の無実を信じて再審の闘いを続ける弁護団の証言を並べたドキュメンタリーです。


1992年、福岡県飯塚市で二人の小学生女児の遺体が発見されます。目撃証言、DNA型鑑定などから犯人とされた男性は逮捕から一貫して無罪を訴えましたが、2006年に最高裁で死刑が確定。それから2年という早さで刑が執行されました。翌年には再審請求が提起され、その闘いはいまも続いています。


監督は元NHKのディレクター。2022年にBS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件30年目の迷宮~」で文化庁芸術祭賞大賞などを受賞。その後、退社してこの映画を完成させます。この映画、タイトルから「冤罪事件を糾弾する!」という立場で、自分の主張に都合の良い証言や映像を集めた作品と思うかもしれません。しかし、まったく逆。証言者たち一人ふとりの生の言葉をとにかくぶつけ合わせる、そにこの映画の凄みがあります。


例えば、犯人逮捕の流れを作った西日本新聞は再審に合わせ、検証取材を開始します。自分たちの報道は先走りではなかったのか?、それを検証する作業ですから、なかなか勇気のいることです。その中で事件の目撃者が見つかる。記者たちは改めて話を訊こうとしますが、話を訊きに行った記者の心のうちに「証言は警察に都合の良いように誘導されたもの、あるいは頼まれて、または脅されて言わされたもの」という想いがあったことは想像に難くありません。


ところが……。証言者からはそんなことを微塵も感じなかった、しかも、警察の取材からも得られていなかった話まで聴けた、その話も腑に落ちたと回顧する記者の映像が流れるのです。「これは冤罪事件ではないのか?」という方向性で作られた映画なら、捜査がちゃんと行われたということを裏打ちするような、そんな映像はカットするでしょう。


一時が万事で、この映画では、3者が(加えて男性の遺族である夫人も加えた4者が)自分の想い、考えを、一方的にぶつけ合っているのです。しかも、凄い熱量で。それを聴いて、この映画を観る人間がどう判断するのか、それに委ねられています。そのためか、女子二人の被害者家族の感情は排除されています。


当時を回想する記者たちは同世代。若い頃、私も事件、事故を追いかける社会部の記者でしたので、特ダネを追いかけるその心理が手に取るように解るし、身につまされることが多く、久しぶりに出逢った実に重い映画でした。見終わった後も興奮がなかなか収まりません。しばらく、いや、この映画のことはずっと忘れないでしょう。








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ytanaka

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