御魂祭りで英霊に感謝
きょう1日は「嶺北忠霊場」で行われた「鯖江市戦没者追悼式・慰霊法要(みたま祭)」に市議として参加してきました。鯖江には明治期から金沢に司令部を置く第9師団を構成する連隊として歩兵第36連隊が存在し(当時は金沢7連隊、敦賀19連隊、富山35連隊、鯖江36連隊の4個連隊で編成)、「忠霊場」はかつての陸軍墓地に建っています。
36連隊は、明治期に日露戦争に参陣。ロシアが中国・旅順に築いた要塞をめぐる攻防戦で(映画やドラマで描かれることが多い203高地などの戦いです)突撃を繰り返し、三原重雄連隊長以下、たくさんの戦死者を出しました。昭和に入ると、昭和12年(1937年)に始まった支那事変に出撃。この事変は上海をめぐる局地戦で終わらず、政府は時の国民政府の首都・南京を陥落させよ、となりました。
その先陣を切ったのが36連隊です。伊藤大隊長が戦死する中、36連隊の第1大隊が光華門を占領して南京に一番乗りします。鯖江でも提灯行列が出ましたが、故に多くの兵士が戦いに倒れました。当時の連隊長の名から「脇坂部隊」と呼ばれた連隊はこの時の奮戦で、陸軍きっての精鋭部隊としてその名を轟かせることになります。
連隊は昭和15年(1940年)、第9師団から第28師団に所属が変わり、満州国に駐屯する関東軍に組み込まれて首都・新京などの警備に当たります。そして昭和19年(1944年)6月、米軍がサイパン島に上陸すると、奪還のため現地へ。しかし、守備隊が玉砕したことから作戦は中止、今度は沖縄を守るために編成された第32軍に編入され、大東島などの守備に就いて、そのまま米軍と戦うことなく終戦を迎えました。
南京占領後、中国は「いわゆる南京大虐殺」をでっち上げ、朝日新聞を中心とした親中メディアがその先兵となって日本人を洗脳、多くの日本人が大虐殺は事実と信じ込んできました。戦前への反動、戦後のそうした空気の中で、行政や教育の現場は鯖江と南京という言葉と結び付くことを嫌ったのでしょうか。そう想わざるを得ないくらい、連隊の存在は忘れられた存在です。
丹南病院がその昔、国立病院だったことを知っている方も少なくなりました。県庁所在地の福井市でなく、鯖江クラスの街に国立病院があったのは、敗戦によって存在自体が消えてしまった陸軍の病院「衛戍(えいじゅ)病院」を引き継ぐ必要に迫られた政府が、それらを急きょ国立病院として引き継いだからです。故に敦賀にも国立病院がありました。
間もなく戦後80年。忠霊塔には、第9師団時代の戦死者を中心になんと2万5千157もの英霊が眠り、祀られています(鯖江市民約7万人です)。彼らの犠牲に上に、いまの時代があるのです。海外の論調に右顧左眄してはいけません。国を守るために尊い命を捧げた英霊への感謝を忘れることなかれ、です。
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