きょうから「間部の館」で、幕末ー明治期の歌人「清水寛和」の作品展
きょう5月1日から鯖江市の博物館「間部の館」で、「四季うたう人 ー 清水寛和作品展」が始まりました。寛和(かんわ)は江戸後期ー明治期の鯖江藩士で、若くして京都に住み、本居宣長(もとおり・のりなが)の直弟子であった城戸千楯(きど・ちたて)の下で国学を学び、そのかたわら多くの歌を詠んだ歌人です。
和歌というと、やはり敷居の高いイメージがあるからか、なかなか作品展は開催されません。彼の作品を一堂に集め、市民に紹介するのは史上初。直筆の短冊などを所蔵している市内の愛藏家たちの協力を得て、ようやく実現に漕ぎ着けました。お力添えを頂いた皆さんに感謝申し上げます。
寛和は鯖江藩士・中島権右衛門の次男として生まれますが、清水家に養子に入ります。若くして京都へ出ますが、その時期は鯖江藩主・間部詮勝(まなべ・あきかつ)公が京都所司代を務めていた時期と重なります。間部公も、国学、和歌の世界を通じて京都での人脈を広げていた寛和からあれこれ情報をもらっていたかもしれませんね。
実際に寛和の交友関係は広く、弟子だった宇田淵(うだ・えん)は岩倉具視(いわくら・ともみ)の下でさまざまな活動を手伝い、明治新政府で宮内省御用掛になりました。また、太田垣蓮月(おおたがき・れんげつ)、桜義太夫(さくらぎ・だゆう)と並ぶ当時の女流三大歌人の一人、上田ちかとの親交も知られます。
明治新政府の成立後、寛和は郷里の鯖江に帰り、静かに歌を詠んで余生を過ごしたと伝えられます。明治13年(1880年)に83才で亡くなり、墓は京都の等持院に造られました。生涯、独身。没後、京都で彼の歌集『かけひの水』が出版され、今回の作品展にも展示されています。
展示されている短冊をみると、寛和の筆には勢いがあり、どれも流れるような筆致です。彼の作品は季節感にあふれたもの。担当者はそこをつかまえて「四季うたう人」というタイトルを付けてくれたのだと思います。30点はあります。作品展に足を運び、郷里の先達を偲び、想像力の翼を大きく広げてください。
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