連載 | 女性宮家が駄目なわけ 2


第2回 … 女性の天皇「女性天皇」こそ、男系継承の救世主

そもそもこの連載を書こうと思ったのは、「男系継承」の話をすると、「天皇を男性に限る仕組み、それは女性差別だ」といった反応が返ってくることがあるからです。しかし、それは、とんでもない勘違い。「胤を継いでいく仕組み=男系継承」の場合、女性が天皇に即位する「女性天皇」の存在をぜんぜん否定していません。実際、125代のうち、過去に8人、10代の、「女性天皇」がいました。8人なのに10代となるのは、重祚した(二度即位した)天皇が二人いるからです。そんな歴的な事実があるのに、女性差別とは、ひどい誤解です。

では、その8人と「胤を継いでいく仕組み=男系継承」はどんな関係にあるのでしょう。それを理解するには、8人が即位した時の状況を見ることです。するとその役割は、「胤」を引き継いでいることが解っている息子、あるいは甥といった男子が成長するまでの、中継ぎ役を務めていることが浮き彫りになります。例えば、117代「後桜町(ごさくらまち)天皇」。「後桜町天皇」は、江戸時代後期の天皇で、8人いる「女性天皇」の8番目、つまり、最後の「女性天皇」です。即位前後の状況をみてみましょう。

先帝116代「桃園天皇」は22歳の若さで崩御しました。その時、第1皇子の「英仁(ひでひと)親王」はまだ5歳。そこで桃園天皇の異母姉の(英仁親王からみると叔母の)「智子(としこ)内親王」が甥の成長を待つ形で即位します。それが「後桜町天皇」です。「後桜町天皇」は在位9年で譲位して、皇位を「英仁親王」に引き継ぎました。そうやって118代「後桃園(ごももぞの)天皇」が誕生したのです。「女性天皇」が中継ぎ役を務め、「男系継承」を支えた、典型的な例です。この時の、皇位の動きを図2にまとめました。

図2[拡大]


ところが、話はそれで終わりませんでした。その118代「後桃園天皇」が、男子を残すことなく21歳の若さで急逝されてしまったからです。しかし、そこが皇統の凄いところ。ギリギリまでは直系でいくが、それが不可能になった場合、「胤」引き継いでいる男子を探すのです。何代も前に枝分かれした後、天皇家と並走しながら、別ルートで「胤」を引き継いできた宮家の出番、というわけです。

この時、後継候補に上がったのは、A:伏見宮家の「貞敬(さだゆき)親王」、B:閑院宮の「美仁(はるひと)親王、C:その弟の「師仁(もろひと)親王」の3人でした。閑院宮家は江戸時代中期、東山天皇の皇子「直仁(なおひと)親王」から枝分かれして創設された宮家です。そしてその結果、いちばん若い9歳の「師仁親王」が即位して皇統を繋ぎました。それが119代「光格天皇」です。この時、「皇位というバトン」は、それまでの「伏見宮家」系の男子から「閑院宮家」系の男子にリレーされることで、「胤」は繋がったのです。以後、今上陛下まで、この「閑院宮家」系の男子が皇位のバトンを引き継いできているのです。

では、その「閑院宮家」が「天皇家の本家」なのか?、というと、それもまた違います。というのも、その時々の天皇の横に、同じ歴代天皇の「胤」を受け継いだ男子を擁する他の宮家が並走しており、天皇に男子が途絶えた時にはその宮家から天皇を出して「皇位というバトン」を引き継ぐわけですから。「天皇を出している宮家を本家」と定義するのであれば、「本家」は常に変わり得るということです。つまり、皇統とは大きな森のようなもので、森全体で(宮家全体で)歴代天皇の「胤」を受け継ぎ、その中でその都度、誰かを選んで「皇位というバトン」をリレーしているわけです。


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