寂しい憲法改正

新しいWEBサイトの起ち上げ作業のためにしばらく休んでいた、等身大のニュース解説「ニウスな夜」を3月になって再開させました。再開第1回のテーマは憲法改正。しかし、調べれば調べるほど、世間的な関心があまりに低いということを痛感させられました。衆議院、参議院ともに、改憲を指向する勢力が3分の2を超えるという状況は戦後初。憲法を改正したい勢力にとっては千載一遇のチャンス、一方、改正したくない勢力にとっては(いわゆる護憲派にとっては)これほど危機的な状況はないはずです。しかし、変えたい方の気迫が伝わってくるわけでもなく、変えたくない方にヒシヒシとした危機感を感じるわけでもありません。


私自身は改憲論者ですが、だからといって、「アメリカに押し付けられた憲法だから」といった、ルサンチマン(怨恨・復讐)的な理由によって憲法改正が行われるは間違いです。理想とする日本の姿をきちんと見据えての改憲であって欲しい。そのためには、賛成派、反対派の間で、日本の将来を巡って改正議論を闘わせる必要がありますが、まるでその気配がない。なんとも残念な話ですね。なぜなのか。あれこれ考えてみたのですが、国民の多くが「憲法改正の必要性を感じていない」から、それに尽きるのではないか、と思うようになりました。


法的な位置付けはともかく、自衛隊の実態は軍隊そのものです。外国の報道を見ればよく解ります。海上自衛隊の艦が外国に寄港すれば、「Japanese Navy…」という表現は当たり前に登場します。自衛隊が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書く憲法第9条の第2項との明らかな矛盾。その矛盾を、無垢な子供に説明することは難しいでしょう。私が改憲を指向するのもこの矛盾の解消、さらにそこを起点して、より効率的で実効的な国防体制を確立してほしいと思うからです。同時に、「暴力装置」である自衛隊の在り方をきちんと位置付け、暴走する危険性も除去する必要があります。


ところが、多くの国民にとって、その矛盾はあまり気にならないのですね。「本音と建て前を使い分ける」ことを空気のようにまとってきた日本人にとって、その程度の矛盾は十分に許容範囲、ということなのでしょう。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法の施行から既に70年余。矛盾を放置することに慣れてしまった人たちの方が多くなった現在、もうこのまま、現状のまま矛盾していても構わないと考える人が多いのではないか、と思うのです。そもそも、憲法改正で「明日の実生活」が変わるわけでもないので。


実は、護憲派の人は、それが「サイレント・マジョリティー」と肌感覚で解っているのだと思います。だから、ことさら改正反対を叫ばない。改憲派が動いても、改憲に乗り気でない公明党を説得できない、故に国民投票までいかない可能性があるのに、その時点で騒ぐのは得策でないと考えている節があります。自分たちが反対を叫ぶことで、普段は憲法のことなど考えたことのない人たちがその矛盾を真剣に考えるようになってしまうことを怖れている、つまり、「寝た子を起こすことになる」と考えているかと。


憲法改正は、衆議院、参議院がそれぞれ、3分の2の賛成で改正を発議する必要があります。改憲派が3分の2を割り込んでしまえば、発議自体が出来ません。それを考えると、来年7月の参議院選挙の前の発議する必要があります。参議院選挙の結果次第で、自民党、公明党、維新の会などの改憲派が3分の2を割り込む恐れがあるからです。なので、参議院選挙の前、通常国会の6月末が実質的なタイムリミット。残すところ1年強。時間との闘い、でもあるわけです。


ところが、自民党の動きは鈍い。こちらも「改正命」と考える議員が減り、本音ではどちらでも良い、改憲問題で波風立てなくても、という議員が多くなっている。なんのことはない、自民党も「平和惚け」なのです。自民党案を決めた後、改憲に乗り気でない公明党をどう説得するか、これといった展望が見えていないことも手伝い、最初から腰が引けているのです。


なので、いま自民党の憲法改正推進本部で取りまとめている改憲案も、何とも中途半端。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という第2項を残しつつ、自衛隊の存在を書き足すという安倍首相の私案がその典型です。本来ならば、国防の在り方を見据えて新たな条文をゼロから書くべきなのに、公明党の受け入れやすい文面にすることを優先する。そうやって書き直した新9条は、問題は抜本的に解決出来ないだけでなく、また新たな矛盾を孕むことになり、憲法論議がいまよりもさらに迷走する恐れすらあります。



そこに財務省の文書書き換え問題が起き、安倍内閣への支持率が急落しました。これで今年9月の自民党総裁選挙はもちろん、総裁選の後の来年4月の統一地方選挙の帰趨次第では安倍降ろしが再熱する可能性もあり、この動きは参議院選挙まで止まないでしょう。乗り気でない公明党もそれを理由に「いま、この時期に憲法の話は………」と、改正論議に蓋をしようとするでしょう。そんな公明党の賛成を得て、野党の一部の賛成を得て国会での発議にこぎ着けたとしても、ゴタゴタが続いて安倍内閣に対する嫌悪感が広がれば、その先の国民投票にも間違いなく影響を及ぼします。



改正しようがしまいがどちらでも良いという人たちに賛成に回ってもらうには、まず改正の理由をしっかり聞いてもらわなくてはなりません。その環境を整える必要がありながら、こんな状況ではそれも難しい。その結果、消極的な賛成の人は安倍アレルギーという、本質とは違う理由で反対票を投じるということにもなりかねません。憲法改正を看板にしてきた安倍内閣の「自損事故」で改正が遠のくとは、なんとも皮肉な話です。



しかし、それで済む話でもないでしょう。繰り返しになりますが、憲法改正を、ルサンチマン(怨恨・復讐)を晴らすために行うのはナンセンスです。一方で、時の政権へのアレルギーで反対するのも、これまたおかしな話です。憲法改正はなにも、9条の改正だけ、という話ではありません。改正の背景には、まずは日本という国がどう有るべきか、ということを考える必要があります。それを考えることすら面倒というような空気、なんともイライラが募ります。




  田中の仕事 2018 
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コメント

  1. 東廣太郎 より:

    その通りですね!日本の将来を真剣に考えている政治家は、誰もいないのでしょうか?
    それと、憲法は権力の制御機能の面も勿論必要でしょうが、日本国民として在る為に義務を課す面も同等にあり、更に最も必要な機能として、日本国民としての生きる根っこの拠り所で有るべきでしょう!歴史や習慣や気質等に依ってある日本人を、立たせる基礎で有るべきなのです。こんな単純で明快な論理に矛盾しまくっている憲法を、護憲派は分からないのでしょうか?ルサンチマン等関係なく、現憲法の発足の仕方は旧帝国憲法の改正でしかなく、発足の生みの苦労等経験していないのですから当然と言えば当然ともいえますが!今ある全ての民間団体に憲法を考える委員会を創って、政治家を寒からしめる事ですな。